【 Beautiful life,Ugly life 】

とは言ったものの人生はことさら美しい物事の一つです。

長い年月を経て、多様に変化して一様に老いていく。そして終わり。

「短い人生、一花咲かせて散ってやるぜ!」って人。

慌てなくても大丈夫です。咲いてます。咲きます。そしてちゃんと散ります。

個体(個人)としての差異をそれぞれが成長する環境・文化の捉え方で感じ取り、恋愛や仕事・遊びをする。

それぞれの人がそれぞれ一様に多様化する。あくまで人間の観点だけど自分は人間やし、それ以外のことはあんまりわからん。

とても面白いと思わずにはいられない。群れたり、はぐれてみたり。

「他人と同じは嫌だ!」ってそもそも誰とも同じではないのに叫んでみたり。

「波風立てたくない。」って言葉で波風立てる人だって居る。

【個性を望んで与えられた個性は個性なのか?】と問うのはナンセンスだけど、「人生なんて個性(自分らしさ)を探す旅だ。」と言われれば妙に腑に落ちたりする。

ムッツリしたタイプで「俺ってなんてイケてるんだろうか。」って思うのは勝手だけど、イケてる基準なんて誰かとの比較だからそのままムッツリしとけば良い。

[土山SA?かな?で見かけたタヌキの置物]

ガッツリしたタイプで「アイツより俺はイケてる!」って言っちゃうと実際のところそこら辺の人と大差なかったりする。

[長浜で見かけたタヌキの置物]

実に多様で趣きのある思考だし、行動です。

名前も知らない花の個体差なんて誰も気にしない、気づかない。けれどその個体はとても繊細に感じ取って各々の人生を謳歌している。喜怒哀楽を含めてとても緩急に満ちている。といった感じでしょうか。

最近は自分のことを見つめる時間を少し増やしたこともあってか他人との差異を意識して感じ取れるようになった。

まぁ「人それぞれやん。」と言えば話は終わりだし、「似たようなモンやん。」と言えばそんなモン。けれど確かに差はある。

その誰かとのズレが個性になるのだけどズレ方が似ていると無個性に見えたり、無個性に感じたりする。

その一部のズレだけに焦点を合わせれば確かに似ている(ように見える)けれど人間そんなに簡単なものではないのでやっぱり皆んな個性的だ。

むしろ無個性があるならばそれは立派な個性であるほどに皆んな個性的。

そういうのが最高なんやけど、その時の気分で捉え方が変化する。

そうなるともう収拾のつくコトじゃない。

「みんな違ってみんな良い。」と言えば軽く聞こえるが実際のところ人間関係はその他人との違いを【認める】のか【肯定する】のか【共感する】のかくらいしか浮かばない。

良い意味で適当でいいし、考え込む必要もない。

人間関係において大体の事柄は考えても一人で答えは出ないし、考えずに決めつけていることなんて腐るほどあるが、考えなくても決めれることもたくさんある。

考えなくても決めてしまうのも性格だろうし、考え込んで決めきれないのも性格なのでしょう。

[琵琶湖で見かけた田中耕平とよく似たの置物]

実を言うと「自分はこんな性格やから〇〇〇やねん。」ってフレーズはあまり好きではありません。

なんでかって?それは秘密。

敢えて挙げるならば、ティーンは別としてある程度の年齢になった時、自分と他人の関係を蔑ろにできる言葉である事は間違いないと思います。