後ろめたくないのがいい。
なんだよ英訳で【Guilty】とかキツい単語が出てくるのか?後ろめたいって。
振り返らないとは少し違う。
今となって全てが後ろめたくないわけではない人生になってしまったのだけれど。後悔の無い人なんておらんでしょ。
【できるだけ】後ろめたくないのがよい。
個人的には振り返っていいと思う。
世の中は振り返らないほうがどーのこーのって言いがちだけれども。
後ろめたいってのはなんなのか。
やましい事がある、なんか悪い気をした気持ちになる。ってことよ。簡単。単純。
それは嘘をつくってこと。
他人にも、自分にもね。
難しくて、複雑なのは。
自分から見た他人。
他人から見た自分。
それらには差があること。
自分だけを優先してはいけないし。
他人だけを優先してもいけない。
自分事に他人を含めないといけないし。
他人事とせず、自分も含めないといけない。
それらのバランスが恐ろしく繊細で難しくて複雑。
僕は仙人でも何でもないので【できるだけ】にとどめるがこれもバランス感覚は必要で固執し過ぎるとよくない。
そこそこ。適度に。適当であればいいのだけれど。
話を戻すと自分の半生を振り返ればバランスなんて取れたモンではないし。

それはそれで経験則として今後に活かしていくのであれば【バランス】をなんとか取ろうとしてるんだろうね。
それが年齢を重ねるってことな感じもする。
そんで青春と思い込みを謳歌する世代からは【しょーもねぇ大人】として蔑まれることなんだろうな。
そんな40代半ば。
そうそう。年齢といえば話は変わらないようで変わりませんが
従兄弟の孝(たかし)が死にました。
31歳で。
癌で。
文字にすればたったコレだけのこと。
判ってから18ヶ月。この期間に僕が思う所があったのは沢山です。きっと皆が思うようなことだと思います。
自分の場合ならどうだろう。とか、治療するのかしないのか。まぁそんなモンです。
死ぬ際までメッセージしてましたが人生最高の美しい景色は死ぬ間際の「兄弟で撮影した写真だ。」と。

あわよくば孝の好きな景色を見に行こうと思ったんやけど、無理やないか。
素晴らしい景色は孝だけが見る事のできる景色でした。
しょーもねぇ年下の大人はしょーもねぇ大人より若く先に死んでしまいました。
どこかやり切った様な。事切れたかのように。
知人の死はいつも自身に何かしらのの影響を与えます。
悲しいのだけれどそれだけではない。
最高の景色が死に際に訪れるように生きよう。
そしてまた墓参りにでも行こう。
あまり作法は知らんけど、ここ10年は墓参りがわりと好きです。
報告をしに行って自分を整える感じ。
盆とか彼岸とか関係無く行きたい時に行く事にしてます。
実のところコレは孝が宣告されてすぐに思ったブログでした。↓
https://born1981.net/2024/04/02/very20240401/
そういや死者の日も近い。
骸骨、ドクロ。盆、お彼岸。
死からは逃れれない。やがて訪れる死。
生き物が生き物として生きる約束ごと。
死んでしまったその後、自分は何を残せるんだろうか。何を残してしまうのだろうか。んなこと考える秋の夜長。
やっぱりバランスが取れる気もしねぇけどバランスは勝手に取ってる気もするな。
ニンゲン、最後はガイコツになってオシマイだね。



