そーらーをこーえてー
ららら
かがーくーうのこー
ってアトムが頭から離れない田中耕平です。
何でなのかわかりませんがまーいいや。
昼食時にテレビジョンを観るのですがウクライナで戦争が始まって、並行して振込ミスの4000万の話。
ウェイトが違いすぎてもうバラエティですね。
昼のニュースで端的に世俗の関心度を認識できます。
バタバタしてる中で単車に乗りますがマフラーガードとシート固定ネジがどっかに飛んで行きました。
タンデムシートのネジで締め直してますがマフラーのガードはどーしようもない。
戦争が起きていても毎日働く、単車に乗り、家に帰って煙草を吸って酒を呑む。
世界の誰かよりも目の前の1人。
コロナ禍がどうのというよりは目の前の生活。
日々の関心事は毎日の生活でしかないなぁ。って思います。
「一昨日にゴミ捨てるの忘れてたなぁ。」とかです。
そういうのが大切と言う気は更々ありませんが、そんなモンだと思っちゃいます。
昔は考えもしなかった事を考えたり感じたりするのは自分でも驚きです。他人事が自分事に置き換えたり感じたりできるのは年の功なのかもしれません。オッさん臭くなったとも言い換えれます。
自分のことばかり考えているのは今も変わらないと思っていますが、先述した通り、自分事の域が広がってんでしょうね。
不思議なモンやけど、不思議でいうなら画面に触れるディスプレイ、一人一人が所持する携帯端末やウェアラブルカメラ、モーター駆動の車やバイク。現代の方がよっぽど不思議だらけです。30年前の自分からすれば全く不思議なミライが現実となってる。
携帯電話の予測変換くらいに予測不能な現実。
携帯の中身くらいよくわからんまま進んでる、使ってるモノ・事柄なんてアホほど溢れてるけどワケわからん進め方は好みじゃない。
それでも、ワケわからんくても進むのが時間。人生。
海の波を止めることはできないでしょう?止めようなんて思わないでしょう?
雲の流れを変えようなんて考えますか?
小さく浮かぶ葉っぱのように、風に舞う葉っぱのように乗り越えるのが人生よ。