藤安 淳(FUJIYASU JUN)の展示へ。
京都市下京区 (元)淳風小学校にて開催されているKG+(レンズメーカーのSIGMAがスポンサーに載ってたな。すげー。)選出アーチストの一人。
会場でもある古めかしい小学校へ行ってきた。
【147年くらい小学校として使われていた校舎の手すり】
【藤安 淳 [Sense of Wonder ]】
やっと行けたー。
10年くらい前に行き逃したままになってた展示を見に行ってきた。
これは「双子って似てるやんなー、凄いよなー。」っていう僕達が抱く【よくあるイメージ】に対して藤安 淳という双子の兄が写真を通して【個のアイデンティティ】をテーマに掲げるエキシビション。
詳細は本人のウェブサイトへ。
そして僕の幼・小・中学の同級生。
二卵性双生児(本人確認済)てやつです。淳[じゅん]と智[さとし]。
小さい頃にクラスが同じで智と仲良くしてたから僕は藤安兄弟の区別が特に意識せずにできていた。(多分、今も)
僕の田舎や藤安兄弟の田舎にも一緒に行った事がある。
他人である僕から見た藤安兄弟は【双子】という強烈なアイデンティティを持った友人。(しかもスポーツ出来て頭が良かってん。二人とも。)
ところがFacebookをうろちょろしていると淳の展示情報を発見。
何の気なしに本人のウェブサイトを見てびっくりした。
“ 母親の胎内にいるときからずっと隣にいる存在。
だが、いちばん身近であるはずなのにその存在をはっきりと把握できない。
お互いの存在がお互いに変化を与える。
お互いの不在がお互いに喪失感を与える。
しかし、ふたりの関係性を口にするには言葉が追いつかない。
僕と彼の類似性、そして確かに存在する微妙な差異。
時が僕らの身体に刻んできたさまざまなもの。
まずは、それらを見つめることから何かが始まる気がした。 ”
〜FUJIYASU JUN 【DZ dizygotic twins】から引用〜
アイデンティティになる得る反面、アイデンティティを喪失する感覚を覚える。って想像しただけでゾクッときた。
実際、今回の展示は【empathize (=共感する)】っていう趣旨の展示をしていて【双子の淳が双子を撮影する事で共感する部分】にも触れていた。
さらに展示の仕方を工夫(後述)することで違和感を表現。
その上で【双子ではない僕】が見て起きる共感と違和感にまで言及されてた。(頭が良い人の文章は小学生が読んでも理解できるもんです)
【会場は日差しのよい教室】
わかりやすい=伝わりやすい=イメージしやすい。予備知識なしの僕にも優しい。(抽象画とか絵画とかいきなり見てもあんまりわからん。)
想像力を使う展示はとても面白い。
これまで自身のアイデンティティなんて疑ったこと無かった。
「田中 耕平って俺なんかな?」なんて考えた事ない。
なのに昔遊んでた友人が小さい頃からアイデンティティの変化や喪失感に向き合っていた(本人にしてみりゃ日常なんやろけど)なんてとても驚いた。
意識の無い自分が別の場所に存在する違和感を想像してみたり。
その自分が何をしでかすかなんてわからんしなぁ。って思ってみたり。
もちろん自分の事を深いレベルで理解してくれたりするといった良い部分もあるんやろな。とか。
まさしく未知の視点、思考。
会場は双子の写真が展示されている。ただし、別のフレームで。
背景に好みの違いが見える。
メイクや服装に性格の違いが見える。
背景が同じでもシワに生き方の違いが見える。
当たり前ながら双子といえども違う人間。
やけど[違う]ってわかってるのに[似てる]って思う不思議な感覚を覚える。
そもそも人間関係でお互いのアイデンティティに対する認識ってズレとるわな。とも考える。
何も無い人間なんておらんやろけど同じ様に見える人間もおるな。とか考える。
他人と自分の違い方。(ちがいかた?変な日本語できてもーたな。)
今まで想像した事のない想像をするとゾクゾクする。
こないだ百均で買うた50cm定規、全体で1ミリズレてた事を思い出した。
身近過ぎて疑わなかった事を疑う感覚。
まさかそこを疑うとは思ってなかった【意外な意外性】が僕の中に差し込まれた。めっちゃ面白い。
仲の良い双子姉妹の体験談も黒板に書いてあった。
【一卵性双生児の姉妹のインタビューが教室の黒板に載っていた】
姉妹は小・中・高校・大学まで一緒だったらしい。(淳と智も高校までは同じやったんちゃうかな。)
「講義を入れ替わっても気付かれないんですよ。笑」って所はクスッと笑ってうなずいて読み進めた。驚いたのはその後の文章。
・[いきなり抱きつかれる。]
・[突然「昨日なんで無視したん?」と言われる。]
・[居ないはずの場所に居た事になっている。]
・[インターフォンに映る姉を自分だと思って解錠し忘れた。笑]
うおお…..。
世界に何人かは自分にそっくりさんが居るって言うけども、ホンマにドッペルゲンガーやないか。って若干の興奮を覚えつつ最後まで読んだ。
淳はこういったインタビューもしてるんやね。
リラックスして話してる内容に見えるし、何より写真だけでない所も楽しい。
上記のインタビューなんて文字に起こすからこそ分かりやすかった。
どうやら【双子の片割れ】という単語がしっくりくるらしい。まさしく唯一無二の存在。
双子として生まれて双子でしか体験し得ない人生と育んだ感性を写真を通じて追求していくんやろなぁ。
処女作でもある【DZ dizygotic twins】。購入してもた。
内容は言わずもがな、【個のアイデンティティ】に一貫した写真集と正直過ぎる文章。
【共有】
【変化】
【喪失】
【共感】
を経て【藤安 淳のアイデンティティ】を今後さらに確立していく、そしてこっちに【アイデンティティの捉え方】を周囲に投げかけるロングランのプロジェクトとして自分の中に落とし込む。
大げさに考えなくともわりとみんながアイデンティティについて悩む事と似てる感じもする。
ただ、双子という観点からアイデンティティの共有と分割・喪失に関しては斬新というか新鮮過ぎる展示でした。言葉が合ってるんかわからんけど「楽し過ぎる。」。
そしていつの日か双子をビジターに7日間体験させるエキシビジョンをやっておくれ。