【ドードーが巡る】

主張で調和。頑固で柔軟。
アクセサリー好きの為のアクセサリーではなくて、ファッション好きの為のアクセサリーである事。
いやー、言うとホンマに簡単。
装着者の主張にして傍観者から見ると調和しているバランス。
コレクションとユージュアルのバランス。
一生モノでもないけどワンシーズンでもないクオリティのバランス。
常に飾るモノではないが引っ越しする時に捨てる気にはならないくらいのバランス。
こんな事を考えてたんやけど一周回ると【装着者の感性】に依る部分がかなりあるね。
結果、作りたいモノ作るか。ってなるんやけど。
考えないわけはないけど考えても仕方ないバランスの取り方が下手くそな事に気付く。
起きている時間の半分は考えても仕方ない事を考えているこのバランス。
あ、半分といえば先日、RBTXCOの東 哲平氏と会ってました。

誰かの脳みそを半分使ってモノ作りしてる感覚を覚えるらしー。

違和感を感じたけど一晩明けてみると合点のいく感覚。
誰かの話をしてもしょうがないので僕で例えてみると。
モノ作りにおいて僕はよく逃げるんです。

飽きてしまったり、飽きてしまったり飽きてしまったりして。
その状況に陥った時は大体が転機で取り組み方によってその後が変化します。

ちなみにどう取り組んでも変化します。
ここは素晴らしい所。

そもそも、逃げたくなるほど(飽きるほど)にモノ作りにのめり込んでいる事に気付かないといけない。
これはもう取り組んでしまっているので今後の変化は不可避。
後は先述の通り、どう取り組んでいくか。
「まだやるのか。やらないのか。」
ここに尽きます。
少しでもやり続けたら深く潜り続けたら先へ進むでしょ。

やらなくても顔を上げたら違う景色が見えるでしょ。
結局はどっちでもいいねんけど。

やったらあかんのは経験を捨ててしまう事。

失敗でも無駄に思えてもその取り組んできた経験や熱量を忘れてしまう事。
ここまでが基本。

けどよくよく考えていくと【誰かの半分】的な部分もあるな、と。

意識してるわけではなくて、無意識のうちに影響を受けてる部分。

亀さんの何とも飾らない機嫌の良い投稿を何気なく気になって見てるし。

たった一度しか会った事のない本田さんて人は自分を認めてやれる姿勢を数時間で気付かせてもらった。いや、自分の妙な矮小さを会話の中で気付いた。数分しか会話してない。不思議なもん。

西村さん曰く「好きなモノ作ったらいい。」だとか。一周回ってそう言ってくれてるのか。

力さん曰く「色んな事やモノを見た方が良い。」だとか。たぶんまだまだ視野が狭いんだと思う。新しいと思ってたコトやモノが「あ、それもうあるで。」みたいな知識量というかアンテナが力さんには建ってる。

以前に書いたけど哲平さんは「誰かの脳ミソ半分使ってる。」とか。

市川さんは僕のやることなすこと全て全肯定やし。これも一周回ってんだろう、おそらく。

武田さんも「おん、ええやん。おもろそう。」。これも一周まわってんのか。

家族(愛している。)からの「いってらっしゃい。」とか。

かと思えば三嶋はんは「田中さんセンス無いからなぁー。」って真正面から向かってくるし。

かたや大くんに至っては同じ様な感覚が多発してモノ作ってると暴走(当然、自己満足度合いが高過ぎるという意味で)する。

金獅子の博登くんは何を聞いても「なんでもやれ!」だ。この人に関しては本人が実践しとるからその通りやわ。

いや、そりゃみんな好きな事を言うよ。人それぞれやし。
僕の関わり方、捉え方もきっとある。

影響が無いとはとても言い切れない。(列挙した名前以外にもそれはそれはたくさんの人に影響は与えられてるのは触れんといてや。無意識な部分を必死で探して出してみたんです。)

けど、なんか、そんな感じ(どんな感じ)の何気ない【生】の部分が取り組むスタンスだとか、モチベーションだとかに凄く関わる気がする。まさしくそれが【半分】くらい。

無意識のうちに影響を受けてしまう。(当然、僕も誰かに善かれ悪かれの影響を及ばしてる事は自覚しないとあかん。)

この人達と色んな事を話したい、関わりたい、モノを作りたい。って思うと僕の場合はモノ作りという翻訳機が無いと言葉や行動にはならなくて。

突き詰めていくと人の関わりとモノ作りは僕の大切なアイデンティティなんだなぁと。
それに伴ってアイデンティティの表現しよーと思えばまたバランスが取りにくいね。

自分のアイデンティティを外にカタチとして出す時にどんなモノになるのかって言うと結局「好きなよーにするか。作りたいモノ作るか。」って言いながら心の中で蠢く承認欲求とのバランスを取ったモノが出てくんだろうなぁ。ここも【半分】くらいかっていう。

堂々巡り。

嫌いじゃないよ。

堂々と巡りまくります。